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1日付で着任した日本銀行松山支店の秋山修支店長が着任会見を開き、「美しい海を利用した産業が基盤になっており、土地の良さを生かした経済の発展がポイントになるだろう」と愛媛経済の印象を語った。
秋山支店長は東京大学卒業後の昭和60年に日銀に入行、高知支店や本店業務局参事役などを経て松山支店に着任した。丹治芳樹前支店長は、福岡支店長に異動した。
また、同支店は着任会見に合わせて、5月の県金融経済概況を発表し、県内の景気判断を「全体として悪化している」から「(全体的な悪化の一方で)テンポは緩やかになっている」と3年5カ月ぶりに上方修正した。電気機械などで、在庫調整の進捗(しんちょく)や、中国をはじめアジア諸国向けに減産緩和の動きがみられるためという
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2009/03/01 (Sun)
夏休み中に成長した選手たち。秋季近畿地区大会府予選の初戦は9月7日だった。
8月下旬にけがで一時戦列を離れた有川裕選手(2年)に代わり、陽川尚将選手(2年)が4番に座った。有川選手は8番。これがかえって打線に厚みをもたらし、下位からでも得点できるようになった。1回戦から4回戦まですべてコールド勝ちするなど、順調に勝ち進み、近畿大会への切符を手に入れた。しかし、直後のPL学園との決勝戦に落とし穴が待っていた。
それまで7試合すべてに先発していた主戦の木場健志郎投手(2年)ではなく、藤本晃次投手(2年)を起用したが「自分の投球ができなかった」。
先制点を生かせず、攻めたはずの投球が四球となり、守備のリズムが崩れる。逆転を許し、点差が開くと、打線も力みが出た。絵に描いたような自滅パターン。横井監督は五回終了後のグラウンド整備の時間に、選手をベンチ裏に集めて活を入れたが、なすすべもなく1―11の大差で敗れた。「史上最低の試合」と横井監督は振り返る。
しかし「史上最低」が逆に、開き直りにつながった。石井友弘主将(2年)は「あとは上がるしかないと思った」と当時を語る。
1週間後の10月19日、京都・西京極球場で行われた近畿大会1回戦。相手は智弁和歌山。2点を先制されても慌てず、三回2死から5点を奪い逆転。その後、1点差に迫られたが、追加点を奪って競り勝った。
続く大阪桐蔭戦でも2点差をはね返し、準決勝の天理戦も1点差まで追いつく粘りを見せた。強敵との接戦を繰り返すことで、身上の粘り強さが本物になった
8月下旬にけがで一時戦列を離れた有川裕選手(2年)に代わり、陽川尚将選手(2年)が4番に座った。有川選手は8番。これがかえって打線に厚みをもたらし、下位からでも得点できるようになった。1回戦から4回戦まですべてコールド勝ちするなど、順調に勝ち進み、近畿大会への切符を手に入れた。しかし、直後のPL学園との決勝戦に落とし穴が待っていた。
それまで7試合すべてに先発していた主戦の木場健志郎投手(2年)ではなく、藤本晃次投手(2年)を起用したが「自分の投球ができなかった」。
先制点を生かせず、攻めたはずの投球が四球となり、守備のリズムが崩れる。逆転を許し、点差が開くと、打線も力みが出た。絵に描いたような自滅パターン。横井監督は五回終了後のグラウンド整備の時間に、選手をベンチ裏に集めて活を入れたが、なすすべもなく1―11の大差で敗れた。「史上最低の試合」と横井監督は振り返る。
しかし「史上最低」が逆に、開き直りにつながった。石井友弘主将(2年)は「あとは上がるしかないと思った」と当時を語る。
1週間後の10月19日、京都・西京極球場で行われた近畿大会1回戦。相手は智弁和歌山。2点を先制されても慌てず、三回2死から5点を奪い逆転。その後、1点差に迫られたが、追加点を奪って競り勝った。
続く大阪桐蔭戦でも2点差をはね返し、準決勝の天理戦も1点差まで追いつく粘りを見せた。強敵との接戦を繰り返すことで、身上の粘り強さが本物になった
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