ニュース
1日付で着任した日本銀行松山支店の秋山修支店長が着任会見を開き、「美しい海を利用した産業が基盤になっており、土地の良さを生かした経済の発展がポイントになるだろう」と愛媛経済の印象を語った。
秋山支店長は東京大学卒業後の昭和60年に日銀に入行、高知支店や本店業務局参事役などを経て松山支店に着任した。丹治芳樹前支店長は、福岡支店長に異動した。
また、同支店は着任会見に合わせて、5月の県金融経済概況を発表し、県内の景気判断を「全体として悪化している」から「(全体的な悪化の一方で)テンポは緩やかになっている」と3年5カ月ぶりに上方修正した。電気機械などで、在庫調整の進捗(しんちょく)や、中国をはじめアジア諸国向けに減産緩和の動きがみられるためという
独り言や戯言を書く予定

2009/03/01 (Sun)
昭和初期、日向弁で世相をユーモラスに風刺した「日向狂句」の先駆者、目野丁勘切(ちょかんきり)(本名・清吉)が撮影した写真約60枚が見つかり、孫の西村洋子さん(54)=宮崎市生目台=が公開した。清吉本人の写真をはじめ、明治・大正期の佐土原駅舎や宮崎神宮周辺、一ツ葉海岸などが収められている。
日向狂句は、清吉が1927年(昭和2年)、宮崎時事新聞に投句・掲載されたのが始まり。新聞では「時事狂句」というコーナーで紹介された。今で言うサラリーマン川柳のようなもので、庶民目線の世相風刺が読者の共感を呼んだ。ちなみに「丁勘切」は清吉のペンネームで、日向弁でトカゲの意
日向狂句は、清吉が1927年(昭和2年)、宮崎時事新聞に投句・掲載されたのが始まり。新聞では「時事狂句」というコーナーで紹介された。今で言うサラリーマン川柳のようなもので、庶民目線の世相風刺が読者の共感を呼んだ。ちなみに「丁勘切」は清吉のペンネームで、日向弁でトカゲの意
PR
この記事にコメントする